備中(びっちゅう)の小京都岡山県高梁(たかはし)市頼久寺の紅葉

連休の中日2008年11月23日に備中の小京都と呼ばれている岡山県高梁(たかはし)市を訪問し頼久寺庭園の初冬の風情を楽しんだ。この市の備中松山城は現存する日本3大山城の中で一番高い臥牛山(標高430m)上に現存するので有名である。

頼久寺は臨済宗永源寺派に属し、いつ創建されたか不明だが、足利尊氏が暦応2年(1339)備中の安国寺として再建、正燈国師(岡山県真庭市出身の寂室元光)を迎えて開山第一祖とした。永正年間(1504)、松山城主上野頼久が厚い保護を加えたのでその二字をとって安国頼久寺となったという。

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戦国時代にこの地域を支配した三村家親・元親らの墓もある。

江戸時代初期の茶人・造園家にして備中代官を務めた小堀遠州(1579~1647)が慶長9年(1604)に当寺に在任当時、庭園を造り、歴代藩主と住職の保護、保存への努力の甲斐あって、桃山時代から江戸初期にかけて流行した蓬莱式枯山水庭園の形式がそのままの姿を残し、昭和49年に国の名勝に指定されている。

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小堀遠州(1579~1647)は、慶長9年に父が亡くなった後、備中松山城を預かったが、城は天正2年(1574)の「備中兵乱」で荒れ果てていたため、遠州はこの寺に藩庁を設けて政務を執ったという。そのせいもあって、この寺はいざという時、とりでの役を果たすよう高い石垣の上に建てられ、寺というより城砦のようなつくりになっている。高梁の町は道路の要所要所がキンクになっていて、敵を防御できる構造になっていて、現代交通に関しては、ネックになっている。

ここで政務を執った遠州は、豊臣秀吉、徳川家康、秀忠らに仕え、備中松山城を再建したほか、駿府城普請奉行を務め、作事奉行として名古屋城天守,後陽成院御所造営などにあたり、遠州流茶道の祖としてだけでなく建築、造園の巨匠として知られている。

私が訪問した頃は、園内に広葉樹が美しく紅葉していて初冬の青空と借景の愛宕山とが美しいコントラストをなしていた。

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与謝野晶子の短歌
頼むこと久しき寺の林泉になびくいみじき秋の霧かな

大変落ち着いた町なのでぜひ一度訪れて見られてはいかがだろうか。市のボランテイアが親切に案内してくれる。

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この記事へのコメント

2009年10月31日 16:39
お城と紅葉は風情がありとてもお似合いですね!!
2009年11月01日 03:02
小松様、東京からコメントいただきありがとうございました。

当方は、今年2度ほど、高梁市に行ってしまいました。

落ち着いたよい町ですからぜひお出かけ下さい。

なおこの紅葉のあるのは、城ではなくて、禅宗のお寺(頼久寺)の庭なんですよ。

戦国時代敵に攻められた時、お寺にこもって最後の抵抗をするために、お寺でも、砦のようなつくりになっていますよ。

備中松山城の写真はこの「備中松山城」の、書き込みに添付しますから見て下さい。