西行法師の春を恋うる歌⑤

芭蕉は、元禄2(1689)年、陰暦・弥生3月27日に江戸を立ち西行の足跡を慕って奥羽、北陸を回り大垣に出て伊勢に向かうまでの150日に及ぶ大旅行に出るのだが、奥州入りをする前後に、田園風景を詠んだ3句を紀行文集「奥の細道」に書き留めている。

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図は松尾芭蕉画像
 
陰暦4月20日 那須野での
1.「田一枚植えて立ち去る柳かな」
 次いで
  
陰暦4月22日須賀川での
2.「風流の初めや奥の田植え唄」
 次いで
  
陰暦5月2日福島での
3.「早苗採る手元や昔しのぶずり」
である。

 後の2句は、芭蕉の俳句を詠む姿勢がはっきりとしている。 芭蕉は、禅
を修めているので、句を詠む主人公が、自分であることは確かだろう。
 従って、芭蕉が聞いた田植え唄は、風流の始まりであったし、芭蕉が見た
早乙女の手元は、昔のしのぶ刷りを思わせる動きであったとして、芭蕉自身
の句を詠ませるのである。

この記事へのコメント

2011年02月17日 14:06
こんにちは!!hirrokatoさん。
昨夜、テレビ番組の「歴史秘話ヒストリー」を見ました。昨日は、万葉集についての話でしたが、昔の人は、「今」の思いなどを歌にして相手に伝えたようですね。私には歌を読むのは難しいって思いますが、歌が言葉のようにも言われてたんですが、歌で人を感動させたり、政治を司ったり出来たようですが、やっぱり、それって何かしらの才能があったんでしょうね。。
2011年02月18日 01:01
じゅんちゃん、こんにちは。

昔から歌には「言霊ことだま」が宿ると考えられていて、時間や距離を越えて人間同士はもちろん、神とも、仏とも、森羅万象と交信できた話が残っているようですね。

兵庫県明石の柿本神社には「盲杖桜」というのがあり、
「目を明かし」というからには、「眼病」に卓効があり、「火止まる」から「火事にもおかげがある」と伝えられています。

昔九州は筑紫の国から盲目の娘が杖を衝いて柿本神社におまいりに来て、7日間参篭して次の歌を詠んだそうです。

「ほのぼのと まこと 明石の神ならば 我にも見せよ人丸の塚」

とたんに人丸さんの霊魂に感応して目が開き彼女の目に美しい明石の浦の景色が飛び込んできたといいます。娘は喜んで、持って来た杖が不要になったからというので、神様に御礼を申し上げ、社前に杖をさしておいたところ、杖はそこに根付いて、毎年美しい花が咲き今も何代か後の桜があるといいます。

明石の天文台のそばで高台ですからムリかもしれませんが、今年の桜の花見ををそこでされてはいかがですか。