テーマ:西行法師

西行法師の春を恋うる歌⑥

「奥の細道」陰暦4月20日 那須野での 「田一枚植えて立ち去る柳かな」 芭蕉 の那須野での句は解釈の別れる句である。 芭蕉がということであれば、この句は素直に、芭蕉が田を植えて立ち去ったのを柳が見送ってくれたという事になるのだろうが、そのように解釈をするのは適切でない。 何故なら、芭蕉がこの地に立ち寄ったのは、西行が…
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西行法師の春を恋うる歌⑤

芭蕉は、元禄2(1689)年、陰暦・弥生3月27日に江戸を立ち西行の足跡を慕って奥羽、北陸を回り大垣に出て伊勢に向かうまでの150日に及ぶ大旅行に出るのだが、奥州入りをする前後に、田園風景を詠んだ3句を紀行文集「奥の細道」に書き留めている。 図は松尾芭…
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西行法師の春を恋うる歌④

 阪急電車の上新庄駅で降り、そこからバスで五分。「江口の君堂というバス停で降りるとすぐに、江口の君堂の参道となります。  この寺の正式名称は「宝林山 普賢院 寂光寺」。西行法師と歌を交わした遊女・江口の君(妙の前)が仏門に入って創立した、天台宗の寺だと伝えられています。 江戸時代の難波(なにわ)の博学者・尾崎雅嘉の著わし…
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西行法師の春を恋うる歌③

西行法師(1118~1190)の俗名佐藤義清(のりきよ)。弟に仲清が いる。藤原北家・魚名流と伝わる俵藤太(たわらのとうた)秀郷(ひでさと)の 末裔。紀伊国那賀郡に広大な荘園を有し、都では代々左衛門尉(さえもんの じょう)・検非違使(けびいし)を勤めた由緒正しき富裕な佐藤一族の出。 父は左衛門尉佐藤康清、母は源清経女。保延元年(…
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西行法師の春を恋うる歌②

その後岡山県真庭郡新庄村念仏寺のホームページに陰暦>西暦変換スクリプトがあることがわかり、西行入寂の日を入れてみると、下記の結果が返ってきました。 旧暦(和暦)から西暦に変換(新庄村念仏寺)スクリプト: http://www.can-chan.com/koyomi/qreki-seireki.html 上記変換スクリプトに…
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西行法師の春を恋うる歌①

1月はは往(い)ぬ、2月は逃げると俗に言われていますが、もう正月の月は終り、2月ですね。2011年1月31日は例年にない寒さで、岡山県真庭市役所近辺で、最低気温-8.6℃、最高気温3.7℃で、積雪はありませんでした。 2月といえば西行法師の辞世(?)の歌が思い出されます。 西行法師(1118-1190)は、以下の歌を生前に詠…
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